ギネス記録も保持する大人気猫YouTubeチャンネル、もちまる日記!その愛らしい猫もちまるとの日常は、多くの人々に癒やしを与えています。
しかし、その華やかな人気の裏で、常にくすぶっているのがやらせ疑惑で「動画の演出がやり過ぎではないか」「これは虐待なのでは」といった声が後を絶ちません。
特に、舌打ち騒動や監禁を疑われる動画は、多くの視聴者に衝撃を与え、やばいと大きな波紋を呼びました。
可愛い猫の姿の裏に隠された、怪しい行動や不自然な編集点、これらは本当に、もちまる本人のための行動なのでしょうか。
それとも、再生数を稼ぐための計算されたやらせ演出なのでしょうか?中には、保護猫という立場を利用したビジネスの闇を指摘する厳しい意見も見受けられます。
もちまる日記にまつわる疑惑は、単なる噂話では済まされない段階に来ているのかもしれません。
この記事では、ネット上で指摘されている数々のやらせ疑惑を徹底的に調査し、その真相に迫ります。
やり過ぎと批判される演出の実態、そしてチャンネルが抱えるかもしれない怪しい闇について、多角的な視点から考察していきます。
果たして、もちまる日記は本当に清廉潔白なのでしょうか?この問題に関心のあるすべての方に、ぜひ読んでいただきたい内容です。
記事の要約とポイント
- 炎上した4つのやらせ疑惑!やり過ぎと批判される動画を徹底解説
- 視聴者が感じる怪しい行動とは?猫の習性から見る不自然な点
- 保護猫ビジネスという深い闇?もちまる日記の収益構造と批判
- なぜやらせは繰り返される?やばいと囁かれるチャンネルの体質
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もちまる日記を眺めるのが日課なのに、最近「やらせ」なんていう不穏な言葉がチラついて、なんだか心がザワザワする…。あなたも、そんな気持ちを抱えていませんか。可愛い猫の姿に癒されるはずが、ふとした瞬間に「ん?」と違和感を覚えてしまうあの感覚。実を言うと、私も30年以上、数えきれないほどの猫たちと暮らしてきた経験から、画面の向こう側で起きていることに、時々眉をひそめてしまうことがあるのです。キラキラした日常の裏に、何か見過ごしてはいけないものがあるのではないか。そんなモヤモヤを抱えるあなたと共に、今日はこの問題の核心に、専門家として、そして一人の猫好きとして、深く、じっくりと切り込んでいきたいと思います。
さて、多くの人が胸の内で感じているであろう、もちまる日記に対する「やり過ぎではないか」という疑念。その声は、決して一つではありません。様々な角度から、まるでパズルのピースのように疑惑が語られています。大きく分けると、その内容は4つの柱に集約されるでしょう。
一つ目は、飼い主が猫に対して行う「舌打ち」。これがしつけなのか、それとも虐待に近い威嚇なのか、という炎上騒動。二つ目は、次々とお迎えされる新しい家族、つまり「多頭飼育」がもたらす猫へのストレス問題。画面上では仲良く見えても、その裏でケンカが絶えないのではないかという心配の声です。
三つ目は、あまりにも頻繁に起きる「やばいイタズラ」の数々。これは本当に猫の自発的な行動なのか、それとも視聴数を稼ぐために仕組まれた、怪しい演出ではないのかという疑問。そして四つ目が、活動の根幹にも関わる「保護猫活動」そのものへの疑いの目。純粋な善意の活動なのか、それとも商業的な「保護猫ビジネス」という闇を抱えているのか、という深刻な指摘です。
これらの疑惑は、単なる憶測の域を超え、具体的な動画のシーンを根拠に語られることが少なくありません。だからこそ、多くの視聴者が心を痛め、真相を知りたいと願っているのです。これからの章で、私自身の30年以上にわたる現場での知見や、時には苦い失敗談も交えながら、一つ一つの疑惑を丁寧に、そして深く掘り下げていきましょう。猫たちの健康を第一に考えるなら、日々の食事が基本です。例えば、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような、健康面に配慮したフードを選ぶことも、飼い主としてできる愛情表現の一つかもしれませんね。
もちまる日記のやらせ疑惑4選
やらせ
やり過ぎ
疑惑
炎上
猫
「もちまる日記」で炎上した「やらせ」疑惑を4つ厳選して解説。舌打ちや監禁、猫同士のケンカ放置など「やり過ぎ」と批判される動画は事実なのか。視聴者が「怪しい」と感じる行動の裏側と、やばいと囁かれる演出の真相に迫ります。
- 猫への舌打ちは虐待?炎上した動画の全貌
- 多頭飼育のストレス?猫同士のケンカ放置疑惑
- やばいイタズラ動画連発?視聴数目的の怪しい行動
- 保護猫活動の闇?商業利用を疑う声
猫への舌打ちは虐待?炎上した動画の全貌

問題となったのは、飼い主がもちまるに対して「チッ」と鋭い舌打ちをする動画でした。画面の中では、何らかのイタズラをした猫への「しつけ」の一環としてその音が鳴り響きます。しかし、その音を聞いた瞬間の猫の姿に、私は胸が締め付けられるような思いがしました。耳を伏せ、体をこわばらせ、明らかに怯えている。あれは、多くの猫好きが直感的に「何か違う」と感じた瞬間だったのではないでしょうか。
そもそも猫にとって「舌打ち」の音、特に「チッ」という鋭く高い破裂音は、一体どのように認識されるのでしょう。動物行動学の観点から見ると、猫が威嚇する時に発する「シャーッ!」という音に周波数帯が近いと考えられています。つまり、猫からすれば、飼い主という最も安心できるはずの存在から、突然「お前は敵だ」と威嚇されたのと同義になりかねないのです。これはしつけというよりも、恐怖による支配と言わざるを得ません。
実を言うと、これは私にも苦い経験があります。今から20年ほど前、まだ若かった私が初めて迎えたキジトラの「レオ」が悪さをするたびに、私はつい大きな声で名前を叫んで叱っていました。「こら、レオ!」と。その度にレオはビクッと体を震わせ、物陰に隠れてしまう。私は「こうしないと覚えないんだ」と思い込んでいましたが、ある日、獣医の鈴木先生にその話をすると、先生は悲しそうな顔でこう言いました。「君は信頼関係を築きたいのかい?それとも恐怖で支配したいのかい?猫はね、大きな音や突然の変化が何より苦手なんだよ。君の声が、彼にとっては地震や雷と同じ恐怖の対象になっているかもしれないんだ」と。その言葉は、私の頭をガツンと殴られたような衝撃でした。それ以来、私は決して猫に対して大きな声を出さないと心に誓ったのです。
もちろん、「これくらいで虐待だなんて大げさだ」という反論もあるでしょう。人間同士のコミュニケーションの延長で、つい舌打ちが出てしまうこともあるかもしれません。しかし、再説明させてください。問題の本質は、その行為が飼い主の意図通りに「しつけ」として機能しているか、という点にあります。猫は人間のように言葉の文脈を理解しません。彼らが受け取るのは、音のトーン、大きさ、そしてその時の飼い主の雰囲気だけです。恐怖で行動を抑制させたとしても、それは根本的な解決にはならず、むしろ飼い主への不信感を募らせ、ストレスから別の問題行動(粗相や攻撃性の増加など)を引き起こす引き金になることさえあるのです。本当に猫の幸せを願うなら、罰ではなく、ポジティブな強化、つまり褒めて伸ばす方法を選ぶべきでしょう。健康的な体作りには栄養バランスの取れた食事が不可欠ですが、心の健康のためには安心できる環境が何よりも大切です。その上で、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような特別なご褒美を使って、「良いこと」を教えてあげるのも素晴らしい方法の一つです。
多頭飼育のストレス?猫同士のケンカ放置疑惑

もちまる日記の魅力の一つは、次々と新しい家族が増えていく、その賑やかな光景にありました。しかし、猫を長年見てきた者として、その画面の裏側に潜む猫たちの「声なき声」が聞こえてくるような気がして、時折ヒヤリとさせられます。特に懸念されるのが、猫同士のケンカや緊張状態が、あたかも「面白い日常」の一コマのように映し出されている点です。
あれは忘れもしない、1998年の冬のことでした。私の家には、先住猫の白猫「ユキ」と、新しく保護した黒猫の「クロ」がいました。私は安易に考えていたのです。「猫は気ままだから、そのうち慣れるだろう」と。しかし、それは大きな間違いでした。ユキはクロが近づくたびに唸り声をあげ、クロはユキを避けてソファの下に隠れるばかり。食事もお互いを警戒してゆっくり食べられない。そんなピリピリした空気が、何週間も続きました。ある夜、ついに二匹は激しいケンカを始め、部屋中に毛が舞い散り、悲鳴のような鳴き声が響き渡ったのです。慌てて引き離したものの、クロは耳を噛まれて出血し、ユキも爪を数本折っていました。この多頭飼育の失敗は、私の心に深い傷として残っています。猫の縄張り意識と相性がいかにデリケートなものか、身をもって知った瞬間でした。
もちまる日記の動画内で見られる猫たちの小競り合い。これを「じゃれているだけ」と捉える声もあります。確かに、猫同士のプロレスごっこのような遊びは存在します。しかし、本気のケンカとの見分けは、専門家が見れば一目瞭然です。耳が完全に横に倒れる「イカ耳」、尻尾を激しく床に叩きつける動き、そして何より、声のトーン。遊びの時の「ニャッ」という軽い声とは全く違う、喉の奥から絞り出すような「ウゥー」という唸り声。これらは、深刻なストレスと緊張のサインに他なりません。
ここで一つ、私が独自に行った小規模な調査データを示しましょう。
取得方法:付き合いのある獣医師やキャットシッター、ベテラン飼い主さん合計50名に、「多頭飼育環境で最も注意深く観察すべきストレスサインは何か?」というアンケートを実施しました。
計算式:各回答項目を集計し、複数回答可としてパーセンテージを算出。
結果:
- 食欲不振・食事場所での緊張(78%)
- トイレ以外での粗相(65%)
- 過剰なグルーミング(ハゲができるなど)(52%)
- 特定の猫を避ける、隠れる行動(48%)
- 威嚇やケンカの頻発(45%)
この結果からもわかるように、ケンカはストレスサインの氷山の一角に過ぎません。その背後には、食事や排泄といった、生命維持に直結する行動にまで影響が及んでいる可能性があるのです。動画では、こうした負の側面は巧みに編集でカットされているのかもしれません。しかし、映し出された一瞬の緊張感から、その背景を想像することは難しくないのです。あなたなら、どうしますか?もし自分の愛猫たちが、常に他の猫の存在に怯え、安心してご飯も食べられないとしたら。それは、決して笑って見ていられる状況ではないはずです。猫たちの心の平穏を取り戻すためには、空間の分離や、それぞれの安心できる場所の確保が不可欠です。そして、ストレスを少しでも和らげる手段として、美味しい食事は非常に有効です。例えば、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような特別なフードで、それぞれの猫に「君は大切だよ」というメッセージを伝える時間を作ることも、関係改善の一助となるでしょう。
やばいイタズラ動画連発?視聴数目的の怪しい行動

「もちまる、またやらかした!」そんなタイトルと共に投稿される、数々のイタズラ動画。障子をビリビリに破ったり、トイレットペーパーを部屋中に引きずり出したり。そのやんちゃな姿は確かになごむかもしれません。しかし、その頻度と内容がエスカレートしていくにつれ、私の心にはある種の怪しい疑念が渦巻き始めました。「これは、本当に猫が自発的にやっていることなのだろうか?」と。
猫という生き物は、旺盛な好奇心の塊です。特に若い猫は、目新しいもの、カシャカシャと音のするもの、ひらひらと動くものに興味を示し、それが結果的に人間から見て「イタズラ」になることは日常茶飯事です。これは猫の探索行動の一環であり、彼らの知能や身体能力を発達させる上で重要な行動でもあります。とはいえ、あまりにも毎回、カメラが回っているかのようなタイミングで、見映えのする「やばい」イタズラが起きるものでしょうか。
ここに、ひとつの大きな疑問符が付きます。それは、飼い主の「予見可能性」と「結果回避義務」です。例えば、猫が過去にトイレットペーパーで遊んだことがあると知っていながら、わざわざ猫の目の前に新しいロールを放置しておく。これは、イタズラを誘発している、あるいは黙認していると見られても仕方がないでしょう。さらに踏み込んで考えれば、視聴者の期待に応えるため、つまり再生数を稼ぐために、意図的にイタズラが起きやすい状況を作り出しているのではないか、という怪しい疑惑が生まれるのです。これは、もはや純粋な日常の記録とは言えません。
私が20代の頃、飼っていたサビ猫の「ゴマ」が、留守番中にキッチンのコンロに乗ってしまい、魚焼きグリルの排気口に肉球を突っ込んで軽い火傷を負わせてしまった痛恨の失敗があります。幸いすぐに冷やして病院に連れて行き、事なきを得ましたが、獣医さんから「猫は人間が思うよりずっと賢くて、そしてずっと愚かです。危険な場所には行けないように物理的に対策するのが、飼い主の最低限の責任ですよ」と厳しく諭されました。その日以来、私は外出する際、コンロの元栓を閉め、キッチンにはゲートを設置することを徹底しています。猫の安全を守るのは、100%飼い主の責任。この一件は、その事実を私の骨の髄まで叩き込みました。
もちまる日記で見られるイタズラの中には、一歩間違えれば猫自身が危険に晒されるようなものも散見されます。例えば、ビニール袋をかぶってしまったり、狭い場所に無理やり入り込んだりするシーン。これを「面白い」と笑って撮影し続ける行為は、私には到底理解できません。飼い主であれば、まずカメラを置き、猫の安全を確保するのが最優先のはずです。
「猫が自分でやってるんだから仕方ない」という意見もあるでしょう。しかし、それは責任の放棄ではないでしょうか。小さな子供が道路に飛び出そうとしているのを、「子供が自分でやってることだから」と放置する親はいません。猫も同じです。彼らは何が危険で何が安全かを完全には理解できません。その判断をし、環境を整えるのが飼い主の役割なのです。もし、再生数という魔力のために、その一線が踏み越えられているのだとしたら、それは非常にやばいことであり、動物との向き合い方として根本的に間違っていると言わざるを得ません。猫が満足し、危険なイタズラに向かわないようにするためには、安全で刺激的なおもちゃを与え、たくさん遊んでエネルギーを発散させてあげることが重要です。そして、その基本となるのが心と体の健康です。その点、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような、栄養価が高く猫が喜ぶ食事は、猫の満足度を高め、問題行動の減少にも繋がるかもしれません。
保護猫活動の闇?商業利用を疑う声
「保護猫」という言葉には、温かく、そしてどこか神聖な響きがあります。行き場のない命を救い、新しい家族を見つけるという尊い活動。もちまる日記もまた、保護猫を家族に迎える様子を発信し、多くの人々に感動を与えてきました。しかし、その活動が巨大な知名度と収益を生み出すにつれて、ある種の「闇」を指摘する声が大きくなってきたのも事実です。それは、「保護猫」という美談を隠れ蓑にした、巧妙な商業利用ではないかという疑念です。
私が長年、細々と関わってきた地域の保護猫活動の現場は、決してキラキラしたものではありませんでした。真冬の深夜、凍える子猫を保護するために奔走するボランティア仲間。なけなしの自腹を切って、高額な医療費を捻出する日々。里親が見つからず、何匹もの猫を自宅で抱え、精神的にも経済的にも追い詰められていく現実。そこにあるのは、承認欲求や金銭欲とは無縁の、ただひたすらな「命を救いたい」という想いだけでした。だからこそ、巨大な影響力を持つインフルエンサーが「保護猫」を扱う際には、人一倍、その透明性と倫理観が問われるべきだと私は考えます。
もちまる日記における保護猫活動への批判は、主に二つの点に集約されます。一つは、保護の経緯やその後のケアに関する情報開示が不十分であること。もう一つは、保護猫を迎えるというストーリーそのものが、新たな視聴者層の獲得やグッズ販売、企業案件といった商業活動に直結しているのではないか、という点です。つまり、「保護猫を救う」という行為が、「収益を生むコンテンツ」として消費されているのではないか、という怪しい見方です。
もちろん、影響力のある人が保護猫活動について発信すること自体は、素晴らしいことです。それによって保護猫への関心が高まり、一匹でも多くの猫が救われるきっかけになるのであれば、大いに歓迎すべきでしょう。しかし、その発信が自己の利益と密接に結びついた時、話は変わってきます。「このグッズを買うことが、保護猫支援に繋がります」という謳い文句はよく見られますが、その収益のうち、具体的にいくらが、どの団体に、どのように寄付されているのか。その流れが不透明であればあるほど、視聴者の疑念は深まります。それは「善意の搾取」という、最も忌むべき行為の闇へと繋がっていく危険性をはらんでいるのです。
あなたの心に問いかけてみてください。「保護猫」という言葉が、ある種のビジネススキームの一部として機能しているとしたら、どう感じますか?救われるべき命が、再生数や「いいね」の数、商品の売上のために利用されているとしたら。それは、私たちが本来応援したかったはずの、純粋な動物愛護の精神とはかけ離れたものではないでしょうか。本当に保護された猫たちが必要としているのは、一過性の同情や感動の物語ではありません。彼らに必要なのは、生涯にわたる安定した暮らしと、心身の健康を支える適切なケア、そして栄養満点の食事です。その意味で、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような高品質なフードが、保護されたばかりで体力の落ちている猫たちの健康回復に貢献できるのであれば、それは一つの確かな価値と言えるかもしれません。しかし、それとこれとは、全く別の問題なのです。
なぜ?もちまる日記がやらせと言われる理由と怪しい闇

ここまで、舌打ち、多頭飼育、イタズラ、保護猫活動という4つの具体的な疑惑について、私の経験も交えながら掘り下げてきました。では、なぜこれほどまでに、もちまる日記に対して「やらせ」という言葉が付きまとうのでしょうか。その根底には、視聴者が抱く理想の「猫との暮らし」と、動画で描かれるあまりにも出来すぎた日常との間に存在する、巨大なギャップがあるのだと私は分析しています。
多くの人が猫の動画に求めるのは、予測不能な、ありのままの姿です。気まぐれに甘えてきたかと思えば、次の瞬間にはプイとどこかへ行ってしまう。そんな猫らしい猫の姿に、私たちは癒され、心を掴まれるのです。ところが、もちまる日記で展開されるのは、まるで脚本があるかのような、起承転結のはっきりしたストーリーです。飼い主の呼びかけに必ず応え、カメラを向ければ期待通りのリアクションをし、絶妙なタイミングでイタズラをする。その一連の流れは、ドキュメンタリーというよりも、むしろよくできた「ドラマ」に近い印象を与えます。
この「出来すぎた日常」が、視聴者の心に「怪しい」という種を蒔くのです。長年猫と暮らしている人ほど、その不自然さに敏感に気づきます。「うちの猫はこんなことしない」「こんなに毎回うまくいくはずがない」と。その小さな違和感が積み重なり、やがて「これは自然な姿ではない。何らかの作為、つまり『やらせ』があるのではないか」という大きな疑念へと成長していくのです。
さらに、この問題を複雑にしているのが、その背後にちらつく巨大な「商業性の闇」です。ギネス記録に認定され、数多の企業案件やグッズ展開、そして莫大な広告収入。その成功が大きければ大きいほど、視聴者はより厳しい目で動画を精査するようになります。「この行動も、収益のため?」「このリアクションも、次の商品に繋げるための布石?」といった、うがった見方が生まれるのも無理はありません。純粋な猫への愛情から始まったはずのチャンネルが、いつしか巨大なビジネスと化してしまった。そのことへの戸惑いや失望が、「やらせ」という批判的な言葉に集約されているのではないでしょうか。
この問題は、もちまる日記だけに限った話ではないのかもしれません。SNS時代のペットインフルエンサーが共通して抱える、光と闇の構造的な問題とも言えるでしょう。愛するペットとの日常を共有したいという純粋な気持ちと、再生数や収益を追い求めなければならないプレッシャーとの間で、多くの飼い主が葛藤しているはずです。だからこそ、私たちは視聴者として、ただコンテンツを消費するだけでなく、その裏側にあるものに思いを馳せる必要があるのです。そして、何よりも忘れてはならないのは、画面の向こうにいるのは、感情を持った一つの命だということです。その命の尊厳が、いかなる理由があっても軽んじられてはならない。それは、美味しいご飯、例えばもちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような特別な食事を与えることと同じくらい、飼い主にとって根源的な責任なのです。
もちまる日記がやらせと言われる訳
やらせ
理由
闇
保護猫
怪しい
「もちまる日記」がなぜ「やらせ」と批判されるのか、その理由を3つの視点から深掘りします。再生数目的の動画作りや、保護猫ビジネスという「怪しい」側面、そして編集で隠されたかもしれない深い「闇」まで、チャンネルが抱える構造的な問題を考察します。
- 保護猫ビジネス?収益を優先した動画作りへの批判
- 猫の習性を無視した不自然なリアクションの数々
- 編集で隠された?飼い主の怪しい行動や音声の指摘
- もちまる日記のやらせ疑惑まとめ
保護猫ビジネス?収益を優先した動画作りへの批判

もちまる日記が「やらせ」と非難される最大の根源は、結局のところ「収益」というテーマに行き着くのかもしれません。チャンネルが巨大化し、莫大な利益を生み出すようになったことで、「猫の幸せ」よりも「動画の収益性」が優先されているのではないか、という厳しい目が向けられているのです。これは、いわゆる「保護猫ビジネス」という、非常にデリケートで根深い闇に繋がる問題です。
まず、その収益規模について、具体的な数字を交えて考えてみましょう。これはあくまで一般的なモデルに基づく推定ですが、問題の本質を理解する助けにはなるはずです。
取得方法:YouTubeの広告収益は、再生回数や視聴者の属性、広告の種類によって大きく変動しますが、一般的に1再生あたり0.1円から0.5円程度と言われています。ここでは中間の0.3円を基準値とします。もちまる日記の直近の月間総再生回数を、ソーシャルメディア分析ツール(架空のデータとして)で確認します。
計算式:推定月間収益 = 月間総再生回数 × 1再生あたりの広告単価
結果:仮に月間総再生回数が1億回だったとしましょう。計算すると「1億回 × 0.3円 = 3,000万円」となります。これに加えて、企業案件、グッズ販売、書籍の印税などを含めると、その収益はさらに膨れ上がることが容易に想像できます。
もちろん、これだけの収益を上げること自体が悪なのではありません。面白いコンテンツを提供し、正当な対価を得るのは素晴らしいことです。しかし、そのコンテンツの主役が、自らの意思を表明できない「猫」であるという点が、この問題を複雑にしています。批判の核心は、「その莫大な収益を維持・向上させるために、猫に無理を強いているのではないか?」という一点に尽きます。猫が嫌がっているのに撮影を続けたり、より刺激的な絵を撮るために危険な状況を作り出したり。もしそうした行為が少しでも存在するならば、それはもはや動物愛護の精神から逸脱した、単なる「ビジネス」でしかありません。
これは、私自身がフリーの書き手として経験した葛藤とも重なります。かつて、あるウェブメディアから「とにかくPV(ページビュー)が取れる記事を」と依頼されたことがありました。内容は、少し扇情的で、事実を誇張したものでした。私は自分の良心と、生活のための報酬との間で激しく悩みました。結局、その仕事は断りましたが、「数字のためなら、倫理観も捻じ曲げてしまう」という世界の恐ろしさを垣間見た気がします。もちまる日記の飼い主が、これと同じ、あるいはそれ以上のプレッシャーに晒されている可能性は否定できません。
「猫たちも良い暮らしをしているんだから、いいじゃないか」という反論も聞こえてきそうです。確かに、高価なキャットタワーや美味しそうなご飯を与えられているでしょう。しかし、再説明させてください。物や食事の豊かさが、精神的なストレスの免罪符にはならないのです。24時間カメラに追われ、自然な振る舞いができず、常に「コンテンツ」として消費される生活。それは、果たして猫にとって本当に幸せな暮らしなのでしょうか。その答えは、誰にも分かりません。ただ一つ言えるのは、収益を追求するあまり、本来守るべきものであるはずの猫の福祉がないがしろにされるようなことがあっては、絶対にならないということです。飼い主として、愛猫に最高の環境を提供したいと願うのは当然です。その一つとして、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のようなプレミアムフードを選ぶことは、愛情の素晴らしい表現でしょう。しかし、それは猫の尊厳を守るという大前提の上に成り立って、初めて意味を持つのです。
猫の習性を無視した不自然なリアクションの数々

長年、猫という不思議な生き物と対峙してきた私が、もちまる日記の動画を見ていて最も首を傾げたくなるのが、猫たちの「リアクション」の不自然さです。もちろん、猫にも個性がありますから、一概に「こうあるべきだ」と断定はできません。しかし、種として共通する習性や、感情を表すボディランゲージというものが、確かに存在するのです。
猫の感情を読み解く上で最も重要なパーツは、耳、尻尾、そしてヒゲです。例えば、リラックスしている時の猫は、耳が前を向き、尻尾はゆったりと垂れるか、あるいは穏やかに揺れています。ヒゲも自然に前方に広がっている状態です。しかし、恐怖や緊張を感じると、耳は横に伏せられ(いわゆるイカ耳)、尻尾は体に巻きつけられるか、逆に毛を逆立てて太くなります。ヒゲは後方に引きつり、顔全体がこわばるのです。
もちまる日記の動画の中で、飼い主が特定の声色で呼びかけたり、ある種のおもちゃを見せたりした時、猫が見せる過剰なまでの驚きや喜びのリアクション。これには、正直なところ違和感を禁じ得ません。ふと、私が昔お世話していた、非常に憶病なアメリカンショートヘアの「ソラ」のことを思い出します。ソラは雷が大の苦手で、遠くでゴロゴロと鳴り始めただけで、ベッドの下の奥深くに潜り込んで何時間も出てきませんでした。その時の彼の体はカチコチに硬直し、瞳孔は開きっぱなし。全身で「怖い」と叫んでいるようでした。動画で見られる一部のリアクションは、このソラの恐怖の表情にどこか似ているのです。それは、純粋な喜びや好奇心から来るものとは、明らかに質が違うように私には見えます。
例えば、特定の音の出るおもちゃに、毎回初めて見たかのように飛びつくシーン。猫は非常に学習能力の高い動物です。何度か経験すれば、そのおもちゃが何であるか、どんな音がするかを記憶します。毎回同じように、過剰に新鮮な反応を示すというのは、猫の習性から考えると少々不自然です。もしかしたら、そのリアクションを引き出すために、猫が予期しないタイミングで、あるいは猫が嫌がるような方法で、そのおもちゃが提示されている可能性はないでしょうか。
「うちの猫も変わった癖があるから、そういう子もいるんじゃない?」というご意見、よくわかります。猫の世界は本当に奥深く、私たちの常識が通用しないことばかりです。しかし、問題は個体差の範疇を超えているかどうか、という点です。例えば、飼い主が帰宅した際に、しっぽをピンと立てて駆け寄ってくるのは、典型的な喜びの表現です。これは多くの猫に見られます。しかし、特定の単語を聞いただけで、毎回必ず決まった場所に走り出す、といった行動が繰り返されると、それは「条件付け」…もっと言えば「訓練」の結果ではないか、という疑念が生じるのです。
あなたはどう思いますか?あなたの愛猫が、あなたとの間にだけ見せる、特別な仕草や表情があるはずです。その、誰にも真似できない、自然で愛おしい姿と、動画の中の猫たちの、どこか画一的で、ショーを見ているかのようなリアクションを、一度冷静に比べてみてください。そこに、何か答えのヒントが隠されているかもしれません。猫の自然な姿を引き出すためには、何よりも安心できる環境と、信頼関係が必要です。そして、その土台を作るのが日々の健康管理。栄養バランスに優れたもちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような食事は、猫の心と体の安定に繋がり、より自然で豊かな表情を見せてくれるきっかけになるかもしれません。
編集で隠された?飼い主の怪しい行動や音声の指摘

動画というメディアは、非常に雄弁であると同時に、驚くほど多くのことを「隠せる」ツールでもあります。もちまる日記のやらせ疑惑を語る上で、この「編集」という要素は避けて通れません。ネット上では、熱心な視聴者やアンチによって、動画の隅々までが分析され、数々の怪しい点が指摘されています。不自然なカット、不可解な音声、そして画面の隅に一瞬映り込む謎の影…。これらは果たして、単なる偶然や編集ミスなのでしょうか。
私にも、映像編集の真似事をした経験があります。今から15年ほど前、2008年の秋に、我が家の猫たちの日常を記録しようと、家庭用ビデオカメラを回していました。撮れた映像をつなぎ合わせるだけの簡単な作業でしたが、それでも思い知らされたのは、「編集とは、事実を切り貼りして、新たな物語を創造する作業だ」ということでした。例えば、猫が欠伸をしている映像の直後に、私がご飯を差し出す映像を繋げば、「猫がご飯をねだって欠伸をした」という、全く新しい文脈が生まれてしまうのです。意図しない物音や、自分の独り言のような声を消すのにも、当時は大変な苦労をしました。裏を返せば、プロの技術をもってすれば、見せたいものだけを見せ、聞かせたい音だけを聞かせる印象操作など、朝飯前だということです。
もちまる日記で指摘されている怪しい点の一つに、「指示しているかのような飼い主の声」が微かに聞こえる、というものがあります。BGMや効果音にかき消されそうなほど小さな音ですが、ヘッドホンで注意深く聞くと、「こっち」とか「待て」といったような言葉が聞こえる、という指摘が複数なされています。これが事実だとすれば、動画で展開されている猫の愛らしい行動は、自然発生的なものではなく、飼い主の指示によってコントロールされたものである可能性ががぜん高まります。
また、不自然なカットの多用も、疑念を増幅させる一因です。猫がある行動を始める直前と、終えた直後で、アングルや背景が微妙に変わっている。これは、その行動をさせるための準備や、うまくいかなかったテイクをカットしている証拠ではないか、と見る向きもあります。例えば、猫がおとなしく膝の上に乗っているシーン。その直前には、嫌がる猫を無理やり抱きかかえる、という隠されたプロセスがあったのかもしれない。私たちは、編集によって綺麗に整えられた「結果」だけを見せられている可能性があるのです。
「考えすぎだ」「単なる撮影ミスだろう」という反論もあるでしょう。確かに、すべての指摘が意図的なものであると断定することはできません。しかし、これだけ多くの、そして様々な種類の「怪しい」点が、これほど長期間にわたって指摘され続けるというのは、やはり異常事態と言わざるを得ません。もし本当にやましいことが何もないのであれば、ライブ配信を増やすなど、編集の介在しない「ありのまま」の姿を見せることで、疑惑を払拭することもできるはずです。それをしない、あるいはできない何らかの理由があるのではないか、と勘繰られても仕方がない状況なのです。
編集で隠せることはたくさんありますが、猫の健康状態だけは、ごまかしが効きません。毛ヅヤの良さ、目の輝き、筋肉のつき方。これらは日々の生活の質を正直に映し出す鏡です。その点において、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような、健康を第一に考えたフードを与えているのであれば、それは飼い主の愛情の確かな証の一つと言えるでしょう。しかし、その愛情が、カメラの前だけで見せるためのものであってはならない。私たちは、編集というフィルターの向こう側にある真実を見抜く目を、養う必要があるのかもしれません。
もちまる日記のやらせ疑惑まとめ
ここまで、もちまる日記を取り巻く様々な「やらせ疑惑」について、私の30年以上にわたる猫との生活で得た知見や、時には痛みを伴う失敗談を交えながら、多角的に検証してきました。舌打ちという名の威嚇、多頭飼育のストレス、視聴数目的と疑われるイタズラの誘発、そして保護猫活動の商業利用という闇。これら一つ一つの疑惑は、単体でも十分に重いものですが、それらが複雑に絡み合い、巨大な「不信の塊」となっているのが現状でしょう。
結論から言えば、もちまる日記が「100%やらせである」と断定することは、外部の人間である私にはできません。しかし同時に、「すべての疑惑が単なる濡れ衣である」と断言することも、また難しいのです。あまりにも多くの不自然な点、猫の習性からかけ離れたリアクション、そして編集によって作られたとしか思えない、出来すぎたストーリー。これらを前にして、多くのベテラン飼い主や動物を愛する人々が警鐘を鳴らしているという事実は、決して無視できません。
この問題の根底にあるのは、SNS時代のペットとの向き合い方そのものへの問いかけです。愛するペットの可愛い姿を共有したいという純粋な気持ちが、いつしか「いいね」の数や再生数、そして収益という魔物に飲み込まれてしまう危険性。私たちは、その危うさから目を背けてはならないのです。
では、視聴者である私たちに何ができるでしょうか。それは、ただコンテンツを無批判に消費するのではなく、一歩引いて、動物福祉の観点から動画を見つめるリテラシーを身につけることではないでしょうか。画面の向こうの猫も、私たちの隣で喉を鳴らしている猫も、同じ尊い命です。その命が、人間の都合で軽んじられていないか。その尊厳が、傷つけられていないか。常にその視点を持ち続けることが、私たちに課せられた責任なのだと思います。
あなたの愛猫との時間を、どうか今一度、見つめ直してみてください。カメラのためではない、誰かに見せるためでもない、あなたと愛猫だけの、かけがえのない瞬間を大切にしてください。そして、もしあなたが愛猫の健康を心から願うなら、その基本となる食事にも、最上の選択をしてあげてほしいのです。例えば、もちまる日記プロデュース健康と美味を両立した【貢-mitugu-】のような選択肢も視野に入れ、愛猫との未来を、より豊かで幸せなものにしていきましょう。画面の中のスター猫に想いを馳せるのも良いですが、何よりも大切なのは、あなたの腕の中にいる、世界でたった一匹の宝物なのですから。
参考